◆なぜ,ここに,観音さまが!?
−霊場を模して,安置−

  棒道沿いの観音さまには,「五番」「十八番」というように番号が刻まれています。これは,「西国三十三所」「坂東三十三所」の霊場を模して安置されたもののようです。
 33カ所の寺院を巡礼する観音信仰は,江戸時代中期から後期にかけて庶民の間に流行しました。各地に,西国や坂東を模倣した身近な霊場がつくられ,それらの多くが,1つの石に1体ずつ彫った観音像33基に,番号・本尊とする寺院名・建立年月日・施主名などを刻んでいます。さらに御詠歌 (ごえいか:本尊を祀った寺名や特有の場所名等を入れ,その巡礼地を初めて開いた人たちによってよまれた歌)等を刻んであるのが普通です。

 (「西国三十三所」「坂東三十三所」:関西より西(西国)の観音像のある33の寺院。および,関東(坂東)の33の寺院)


 棒道沿いの観音さまたちも,この類の観音像です

 「上の棒道」の始点と考えられる大泉村の大芦から,長坂町小荒間を経て女取川近くまでが,全部で25体。これが「西国三十三所」。さらに小淵沢町との境界線あたりまでの11体が,「坂東三十三所」をあらわしています。
 この観音を刻んだ石工は技術的水準の高さから江戸時代の中ごろから全国各地で活躍した高遠石工(長野県高遠町出身の石工)といわれています。


(地図の番号のところをクリッックしてね。)
        

 現在の棒道にある観音さまは,全部で「西国33カ所」が25体,「坂東 33カ所」が11体の36体です。(平成10年11月調べ)
 昭和52年に長坂町青年会の郷土研究グループの『棒道と石仏』という 報告書では,「西国33カ所」には26体がありました。


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