富士山をめぐる自然の謎


富士山は広くすそ野を引く、他に例を見ないほどよく整った円錐形の成層火山です。この山の生い立ちについては多くの地質学者が研究の対象として、様々な謎を解き明かしつつあります。ここではその解き明かされた一端を紹介しています。



 

●富士山の名前の由来

富士山の姿

 

富士山噴火史

寄生火山

富士山周辺の湖(富士五湖)





富士山の名前の由来

 雲の上に顔を出してそびえたつ、富士山の山体は雄々しく、遠く地平線まで裾をひく山容はやさしく、とても美しいものです。
この美しく気高い山は「この世に二つとない」と言うことから最初は「不二山」と呼ばれ、その語は「福地」の文字が使われたこともあります。いろいろな古い書物を調べてみると、「不尽」、
「不慈」、「不死」、「冨慈」など実に様々な文字を持って呼ばれていたことがわかります。
 今使われている富士山という文字は、ほぼ1170年ほど前の延暦19年の噴火の直後から使われる
ようになってきました。


 





富士山の姿

海抜 3776m
位置 東経138度43分、北緯35度21分
噴火口の直径 約500m
噴火口の深さ 約200m
底面部の直径 平均638.4Hp
底面積 約23億平方メートル
体積 約1兆2千億立方メートル






 

富士山の噴火史


 富士山はその単純な容姿から想像されるようなただ1回の噴火によって出来上がった山ではない。
大きく3期に分けて活動したと考えられる。現在の富士山を東側あるいは西側ら良く見ると、北側と
南側に盛り上がった突起状の部分が見える。
 北側の部分が第1期の活動と考えられる「小御岳火山」であり、南側の部分が第2期にあたると考えられる「古富士火山」である。
 富士山の噴火はこの「小御岳火山」に始まり、「古富士火山」へと受け継がれたかたちになっている。

古富士火山は、洪積世末期に猿橋溶岩流などの溶岩を多量に流して、噴火活動を終了してた
 その後しばらく静かな時代を挟んで、現在の新富士火山の活動が開始された。新富士火山の噴出物は、古富士火山の上をおおい、現在のような円錐形の富士山の姿が出来上がった。                                                           富士山から噴出された火山弾
新富士火山の噴出物は下の表のように古期、中期、新期の三つの時代に分けられている。

 

小御岳火山 70万年前〜20万年前
古富士火山 8万年前〜1.5万年前
新富士火山古期 1.1万年前〜7千年前
新富士火山中期 5千年前〜3千年前
新富士火山新期 2千年前〜1千年前
宝永火山 286年前





緑色−−−− 御坂層群
水色−−−− 小御岳火山
クリーム色−−古富士火山
ピンク色−−−新富士火山



●小御岳火山

 噴出物は溶岩とその間にはさまる集塊岩、火山砂礫などである。鉱物組成の上から岩石名は「含カンラン石複輝石安山岩」と呼ばれている。成分的には愛鷹山の溶岩と類似している塩基性安山岩で、富士山自体の溶岩(玄武岩)とは類似しない。
山頂の火口は馬蹄形を直径1.4km、その中心は東北東に約0.7km下ったところあたりである。

●古富士火山

 噴出物としては、吉田登山道三合目から五合目の尾根をつくる火山砂礫と溶岩の互層からなっている。噴出物は玄武岩の溶岩以外に多量の火砕流(噴火泥流)、火山灰、火山砂礫、軽石などを噴出した。

●新富士火山

噴出された岩石は玄武岩の溶岩であり、小御岳火山、古富士火山をほぼ完全に覆って、流れ下った。有史以来数十回の噴火を繰り返している

有史時代の噴火だけでも781年から1707年まで十数回あったことが、古文書などからわかっている。
  ここに記録に残っている噴火の年をあげると、以下のようになる。

(年代

噴火の様子

781年(天応元年 歴史に現われた最古の記録。中央火口あるいは側火口から火山灰を噴出、降下した
800年(延暦19年 有史以来最も激しい噴火活動。中央火口から大噴火。東海道足柄に通じた道路が閉塞し、箱根方面に新道を開いた。流出した溶岩は宇津湖を分断し山中湖と忍野湖をつくった。
826年(天長3年) 小噴火
864年(貞観6年) 主として北西に大量の溶岩を噴出し、現在の青木が原をなす丸尾は溶岩はこの時の噴出によって形成された。中央火口からより側火口からの噴出が主であった。噴出した溶岩流は「せの海」を「西湖」と「精進湖」に分離する
870年(貞観12年 中央火口の噴火。小噴火
932年(承平2年) 溶岩が激しく噴出して、レキが雨のように降り注いだ。大宮浅間神社焼失
937年(承平7年) 北側の側火口の噴火
952年(天暦6年) 富士山北東で噴火
993年(正暦4年) 富士山北東部で三昼夜にわたって噴火した。
999年(長保元年) 南側の駿河国(静岡県)側で噴火
1017年(寛仁元年) 富士山北方より三個所で噴火した。
1034年(長元7年) 南側へ溶岩塊や砂礫を噴出した。
1083年(永保3年) 側火山の噴火。延暦19年大噴火以来の283年間に8回の噴火があり、35年間に1回の割合で活動があった。
しかし次の噴火まで482年間の休止期間がある。
1511年(永正8年) 北側の吉田口、海抜2700m〜3000m付近の溶岩を噴出した。
1560年(永禄3年) 富士山噴火(側噴火)
1627年(寛永4年 江戸に4日間黒色の火山灰を降らしつづけた。
1700年(元禄13年) 駿河の富士噴火(側噴火)
1707年(宝永4年 大爆発。南東の山体の一部が吹き飛び、噴出物の溶岩、砂礫からなる宝永山(2702m)を形成した。その噴火は、18日間続いた。地震を伴、南麓の家屋倒壊。砂礫は現在の御殿場市付一帯に堆積した。


以上18回を記録している。

寄生火山

新富士火山の噴火活動の中心はもちろん頂上噴火であるが、あらゆる溶岩や火山砕屑物は、すべて頂上火口
から噴出したものではない。富士山には、有史以前に噴火したものも含め、たくさんの寄生火山がその山腹にある。
その数は100以上あると言われている。大きいものは大室山、長尾山、片蓋山、神倉山、弓射塚などがあげられる。
新期の寄生火山では、火山砕屑物でおおわれない溶岩流がふつうで、特にこれを「富士山丸尾」と呼んでいる。
この「丸尾」は約10知られているが、最大のものは「青木ヶ原丸尾」で864年の噴火のさい流れたものである

 これ「青木が原丸尾」は寄生火山のひとつである、「長尾山」から噴出したもので大室山を取り囲む形で、御坂
山地の南麓まで達している。そしてこの流れは有名な「青木ヶ原樹海」を作っている。
これよりやや古いとされている「剣丸尾」と呼ばれている丸尾もある。
 寄生火山は南北を問わず、富士山のいたるところに点在しているが、約半数のものは、北北西〜南南東
の方向の線上に多く集中している。(図を参照)
 この方向は富士火山帯の方向と一致しているのが特徴的である。
これらのことから、富士火山噴火のもとになった深い割れ目がこの方向にあると考えられる。


富士山周辺の湖(富士五湖)

富士山周辺にはいくつかの湖や湧水があります。湖は富士五湖と呼ばれる五つ(山中湖、河口湖、西湖、精進湖、本栖湖)の湖が点在し、観光地の一つとしてにぎわっています。
これらの五つの湖は富士山噴火で流れ出た溶岩によってせき止められてできあがった「せき止め湖」です。この富士五湖の出来方は次のように考えられています。

●富士二湖の時期

 富士山に関わる湖が最初に歴史に登場するのは、「宇津湖(うつこ)」と「せの海(うみ」です。「宇津湖」は、富士山の東側にあり、今の山中湖と忍野を合わせた大きさの湖でした。一方「せの海」は富士山の北西側で、今の西湖、精進湖、本栖湖を合わせた大きな湖でした。この時代にはまだ、河口湖は存在しませでした。

●富士旧五湖時期

延暦19年(西暦800年)の大噴火によって、東の山腹から流出した溶岩流は、「宇津湖」を分断して、「山中湖」と忍野湖」を作りました。同じころ大室山付近から噴出した溶岩流が「せの海」を二分し、「本栖湖」と「せの海」に別れました。
北の山腹から噴出した溶岩流は太田川をせき止めて現在の「河口湖」をつくりました。現在とは構成は若干違いますが、この時点で
富士山周辺には、「山中湖」、「忍野湖」、「河口湖」、「せの海」、「本栖湖」の五つ存在していたことになります。

●富士六湖時期

 貞6年(西暦864年)に長尾山(寄生火山)より噴出した溶岩流(青木が原溶岩流)は「せの海」を「西湖」と「精進湖」に分離しました。この時点では富士山周辺には、6個の湖が存在したことになります。

●富士五湖時期(現在の形)

 「忍野湖」はその後、周囲から土砂が流れ込み、次第に浅くなるとともに、桂川の侵食が進み、ついには「忍野湖」の水が流れ出し
湖から湿原へと姿を変えてしまいました。「忍野八海」は「忍野湖」の水源の湧き出し口の跡が残ったものと考えられます。










富士山は今はすぐ噴火するとは言えない。しかし、いつ噴火してもおかしくない火山でもある。
火山の一般的性質から休息期の大きいものほどエネルギーが蓄積されるわけで、長く休むほどに、大きい噴火も予想される




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