郷土、山梨が生んだ偉大な地質学者 「小澤儀明 博士」を悼んで・・。



●略歴

明治32年3月        東山梨郡日下部村八日市場(現 山梨市小原東)に生まれる。
                日下部尋常小学校より日川中学校(現 日川高校)へ入学
大正5年           日川中学校卒業
大正9年7月         旧制第一高等学校卒業と同時に東京帝国大学理学部地質学科に入学
                大学では、横山又次郎教授の指導のもと山口県の「秋吉台」を卒業論文の研究地にして
                研究を進める。「秋吉台の石灰岩層の逆転構造を発見し、学問的に立証」 
大正12年3月        東京帝国大学理学部地質学科を卒業
大正12年4月        東京帝国大学理学部 助手に就任
大正13年4月        東京帝国大学理学部 講師に就任し、地質学第二講座(現 構造地質学)担当
大正13年5月        論文「日本二畳石炭紀石灰岩の区分について」及び「秋吉台石灰岩を含む上部秩父古生層の層位学的研究」
                により、東京地質学会より学術奨励金を与えられる
大正14年5月        東京帝国大学理学部助教授に就任
大正15年3月        論文「古生代後及び中生代末における日本内帯の地殻変動」により、東京帝国大学より理学博士の学位を授与
大正15年5月        帝国学士院恩賜賞を授けられる
昭和 2年5月         文部省からの在外研究により渡米、有孔虫類の研究の大家カッシュマン博士とハーバード大学にて共同研究
昭和 2年9月        渡英し、ケンブリッジ大学にて研究する
昭和 2年12月       再び渡米し、ハーバード大学にて研究する
昭和 4年8月        帰国する
昭和 4年12月       病のため、逝去する(行年 31歳)、山梨市善行寺に永眠

   ○東京大学地質学教室には、「小澤文庫」が残され、山口県秋芳台科学博物館には「不滅の業績をたたえる胸像」がある



●家族構成

小澤家は、古くから、その地方の大地主で経済的にも恵まれた家庭であり、両親とも教育には非常に熱心で兄弟全員秀才だったらしい。

父   小澤正平
母   小澤ともの
長男  小澤 一 (日川中学校在学中に死亡したが、兄弟の中で一番秀才と言われていた) 
次男  小澤 仁之甫(東京外国語大学ロシヤ語科を卒業し、通訳として活躍した
三男  小澤 儀明(本人)
四男  小澤 礼治(一橋大学を卒業し東南アジアに渡って活躍した
長女  小澤 智恵子(儀明氏がとてもかわいがった妹) 



●おいたち

○幼少〜日川中学校時代

小澤博士は、子どもの頃から大変勉強家で読書好きの子であったが、しかし決して家に閉じこもって本だけ読んでいる子ではなかった。
外を飛び歩き、友達と遊ぶ元気の良い子であった。
日川中学校時代の小澤博士は長身でやせ型、一見弱々しく見えるが、校内マラソン大会では上位に入賞し友人を驚かしていたようである。
日川中学校時代は毎日往復10km以上の道のりを歩いて通学し、ほとんど休むことなく通っていた。この毎日の通学のおかげで、
足腰も鍛えられたと言える。
登山が好きで、日本アルプスや秩父連峰を踏破し、その自然の美しさと神秘の中に浸ることも多かった。

○甲府一高〜帝国大学時代

小澤博士が最も充実して学問に精を出した時代
妹の智恵子さんに当時あてた手紙の一節には、
「・・・・・私は来世有ることを知って現世の不運は悲しまず、「たおれて後止む」の志を持して大いに奮励するつもりです。盲目になることも
決して恐れません。盲目になるまでの意気でやります。決して自暴自棄にならず、慎重な態度で大いに奮励するつもりです。・・・・・
と書かれています。この猛勉強ぶりは若くして死ぬまで続きました。

●地質学への道

日川中学時代からすでに多くの自然科学の本をあさって読んでいたようであるが、小澤博士の古生物、地質学への道は「ダーウインの進化論」
によって決定づけられたようである。彼はこの進化論に感動し、強い興味を持ち古生物への道を歩み始めたようである。
小澤博士の古生物学者としての研究の対象は石灰岩中に多く見られる米粒大の紡錘形をしたフズリナであり、この生物の進化系統を作り上げ
たのである。石灰岩中からフズリナを取り出す作業は毎日のように続けられ、いつも小澤博士の研究室のはふるいをふるったり、水を流したりす
る音が聞こえていたという。



●秋吉台の研究

地層は海でも湖でも河川でも下から順に堆積され、上に行くほど新しい堆積物が積み重なっているのが普通である。
しかしながら、断層や褶曲等の地殻変動により、古い時代の堆積物が上に位置することがあり、これが地層の逆転である。
小澤博士は山口県の秋吉台において、一見灰白色の石灰岩の固まりにしか見られないその石灰岩中のフズリナの化石を鍵に
地層の層序を決め、それによって組み立てられた地質構造は大きな逆転構造であることを明らかにした。
更にそれを広く中国地方、西南日本全域にわたっての構造発達史にまとめあげていったのである。
しかし、残念ながら若くして亡くなったため、日本全体の構造発達史をまとめるまでにいたらなかったのが
とても残念である。



●おわりに

小澤博士の一生は休養や怠慢は好まないところであったので、いかなる時も精神的にも肉体的にも燃焼していたのであろう。
直接の死因は「チフス」であり、腹膜炎の併発と言うことであったが、炎天下の秋吉台を歩ける体力を持っていた小澤博士も
休む暇のない猛勉強し、研究のためにさすがに体力も低下していたのだろう。
もし、博士がもう少し長生きされていたなら、世界の地質、古生物分野においてさらに想像できないほどの業績を残したのでは
ないだろうか。



山梨市 善行寺に静かに眠る小澤儀明博士


生誕100年を機に善行寺建立された碑(右と下)



山梨地学会の会員が集まり、お墓参りを済ます。



参考文献   「地質学の逸才 小澤儀明」       大月短大地学研究室  教授 田中 収