大和村は「武田家終えんの地」です。およそ400年前、織田・徳川の軍に追われた武田勝頼(かつより)公とその家来たちは、この大和で悲しい最後をとげました。大和村には勝頼公にまつわる史跡(しせき)が数多く残っています。歴史の足あとをおってみましょう。
時 | で き ご と | 史 跡 |
元亀4年 (1573) 4月12日 |
駿河(今の静岡)の三方ヶ原(みかたがはら)で武田信玄は織田・徳川の連合軍と戦い勝利する。そのまま京都を目指す。そのとちゅうで信玄死去。 | |
勝頼が武田家をつぐ。 | ||
天正3年 (1575) 5月21日 |
織田・徳川の連合軍と戦い、敗れる。(長篠の戦) | |
天正9年 (1581) 12月24日 |
韮崎の七里ヶ岩の上に新府城を築き、甲府のつつじヶ崎から城を移す。 | |
天正10年 (1582) 1月6日 |
信州(今の長野県)の木曽義昌が裏切ったという知らせが入る。 | |
2月3日 | 織田・徳川の連合軍に北条軍も加わって25万の大群で甲斐の国に攻めてくる。 | |
2月19日 | 午前8時勝頼夫人は、武田家の守り神である武田八幡宮に行き、武田家の無事を祈る。 | |
3月2日 | 信濃の城は次々に敵に破られ、信頼していた家来たちにも裏切られる。しかし留守をあずけておいた伯父穴山梅雪が甲府から静岡に逃げたとの知らせを聞き、勝頼は急いで諏訪から甲府にもどる。軍議のすえ、岩殿城主小山田信茂(おやまだしげのぶ)のすすめにより、大月にある岩殿城をめざす。 | |
3月3日 | 早朝、新府城に火を放ち、700人のお供と一緒に岩殿城に向かって出発する。とちゅう甲斐善光寺に立ちより、夕方おそく大善寺(今の勝沼)にたどりつく。その夜、多くの家来が暗やみにまぎれてにげてしまう。 | |
3月4日 | 小山田信茂は母を勝頼にあずけて、一足先に出発する。その後、200人足らずになってしまった勝頼たちも大月をめざす。 | |
同日 | 横吹(今の共和地区)まできて一休みする。そのとき勝頼は村人に世話をしてもらう。そのお礼にと自分の持っていた不動尊を残す。 | 武田不動尊 |
同日午後 | 笹子峠のふもとに着く。勝頼一行は駒飼(今の日影)、家来は鶴瀬に宿をとる。このころ勝頼は西野原にある石にこしかけて笹子峠の方をながめ、小山田が迎えにくるのを待っている。 | 腰掛石 |
3月9日 | やっと小山田の家来が来る。次の日の朝小山田が迎えに来るというがそれはうそで、その夜母親だけ連れてにげてしまう。 | |
3月10日 | 家来が次々と逃げてしまう中、土屋惣蔵(つちやそうぞう)の意見により、武田家の祖先の墓がある天目をめざして、そこから最後の戦いをいどむことにする。 | |
同日早朝 | 川ぞいのけわしい1本道をすすむ。家来は50人ほどにへっている。体中とげがささって血が流れているがそれをふく元気もなかった。2時ごろ田野につく。 | |
同日 | 大蔵沢まで行ってみると、辻弥兵衛がうらぎり、先回りして300人で道をふさいでいるので、石に座って少し考えたあと勝頼は田野にもどる。 | 思案石 |
同日 | 田野にもどって息子信勝に家督(かとく)をゆずる儀式を行う。その夜、追放されていたはずの小宮山内膳(こみやまないぜん)がかけつける。 | |
3月11日 夜明け前 |
いよいよ最後の戦いの日となる。土屋惣蔵は一人で崖のところでせめてくる敵を切り、がけ下に落とした。 | 片手斬り |
同日 | 勝頼は鳥居畑に陣をかまえ、小宮山内膳は四郎作に陣(じん)をかまえる。 | |
同日 | まわりを敵にかこまれ、四郎作で戦いが始まる。織田・徳川連合軍が四千の軍でせめてくる。小宮山内膳たちはわずか数人で戦うが、力つき、十数本の矢をうけ立ったまま息絶える。 | 四郎作古戦場跡 |
同日 | 鳥居畑にも敵が攻めこみ、武田軍は全員うち死にする。水野田では敵に追いつめられた侍女16人が自刃して淵に身を投げる。 | 鳥居畑古戦場跡 姫ヶ淵 |
同日 | 本陣にも敵が攻めてきて、勝頼・信勝・土屋惣蔵は戦うが、信勝は敵に鉄砲でうたれ、動けなくなり、自刃する。 | 生害石 辞世の句 |
同日 | 信勝の最期を見とどけた北条夫人は、勝頼の前で自刃する。 | 生害石 辞世の句 |
同日 | たおれた夫人の近くで勝頼も自刃する。こうして信玄が亡くなって10年もたたないうちに武田家500年の歴史は幕を閉じる。 | 生害石 辞世の句 |
天正16年 (1588) |
武田勝頼以下一族家臣らのめい福を祈るために徳川家康によって田野寺の名前で建てさせた。天正16年3月完成し、景徳院と名前をあらためる。 | 景徳院 |
参考文献:「武田の郷 わがやまと」大和中学校PTA・大和村教育委員会
「大和村の文化財 第1集」大和村教育委員会
「武田氏の栄光と滅亡 新甲斐国志四」斎藤芳弘
「土屋節堂選集第五巻 史談 武田落」土屋節堂
「大和村の史跡と文化財}大和村文化財審議委員 平山三郎 述