笛吹川河畔をめぐって…その2 
       笛吹川は流れを変えた
           … 明治40年の水害後の笛吹川の河身変更を追って
 甲府盆地のほぼ全域を泥の海に沈めた明治40年(1907年)の大水害の詳細を調べるために,明治時代に作られた石和付近の地形図を調べてみた。すると,現在では,日川(ひかわ),重川(おもかわ)との合流点から笛吹橋,鵜飼橋の方向に流れている笛吹川が,春日居町から石和駅前を通り,甲運橋の方向に流れているように描かれていることに気付いた。何時,どのような理由で,笛吹川は,その流れ(河身という)を変えたのだろうか,笛吹川の河身変更の実態を探ってみた。

 明治年間に日本国内の地形を正確に表す事を目的に作られた「陸軍陸地測量部」編の1/20,000 地形図「石和」(明治36年)と,最近の地形を表している「国土地理院」編の1/25,000地形図「石和」(平成元年)を,同じ縮尺にして,石和周辺の地形の変化を調べてみた。すると,明治36年に開設された石和駅や中央線,現在は「雁坂みち」と呼ばれている国道141号線「青梅街道」の位置は,ピタリと重なるものの,笛吹川や旧国道20号線は,現在とは随分違う場所にあることが分かる。現在,笛吹川が流れている場所には,鵜飼川という小さな川が流れ,川の周辺には,水田や桑畑が広がっていた。明治時代に笛吹川の本流が流れていた場所には,現在では平等川が流れ,笛吹川が蛇行して流れていただろう広い河原は,ホテルや旅館の大きなビルが林立する石和温泉郷の中心地帯へと変身している。
 

 地形図上で見る笛吹川の河身変更の実際
 上)陸地測量部 1/20,000 地形図「石和」明治36年版
 下)国土地理院 1/25,000 地形図「石和」平成元年版
 大正6年に編集された地形図では,笛吹川は現在と同じ河身になっている事から,笛吹川がこのような河身をとるようになったのは,明治40年の大水害がきっかけになっていることが分かる。では,なぜ,笛吹川は流れを変えたのだろうか。

 明治40年の大水害の後も,笛吹川沿岸では,41年,43年と立て続けに水害が発生している。このため,旧笛吹川には多量の土砂が堆積して河床が上がり,今までの河身をとるのが難しくなった。そこで,現在の笛吹川の1/4程度の川幅しかなく,比較的土砂の堆積が少なかった鵜飼川に,笛吹川の本流を付け替える工事が行われることになった。この河身変更工事のために,旧鵜飼川の沿岸にあった多くの耕作地が収用されて{旧英村(現石和町)では,農地の1/10が失われた},笛吹川の河原に変えられ,土地を失った農民の中には,新たな生活の場を求めて北海道開拓に赴いた者も多くいた。

 現在の笛吹川(鵜飼橋付近)かつては「鵜飼川」と呼ばれていた

 かつての笛吹川河原(石和常盤ホテル付近)ホテルが林立している

 現在の笛吹川,重川,日川の合流点(左側に新しい河身が拓かれた)
 大規模な堤防を作る技術が確立されていなかった時代,河川は洪水のたびに大きく流れを変える事が常だった。甲府盆地に流れ込む河川は,いずれも周囲の急峻な山々から多量の土砂を伴って平坦地である盆地に流れ込むため,洪水のたびに河原に多量の土砂が堆積して,流れが大きく変わる性質が特に強い。現在多くの人口を抱える甲府,中巨摩,東八代など盆地の中央部の地域は,かつては,ほとんどが盆地の東を流れる笛吹川と西を流れる釜無川の河原のような状態だった。ところが,人口が増加して盆地周辺部の丘陵地帯から中央部に人が移動するにしたがい,人々は堤防を作って川を狭い範囲に押し込め,耕作地を拡大していった。戦国時代,領国経営に熱心だった武田信玄も,釜無川や笛吹川に「信玄堤」と呼ばれる独特の堤防を数多く築いて積極的に川の流れをコントロールし,強引に耕地を拡大していった。

 日川,重川との合流点付近では,笛吹川の堤防は連続しておらず,大きな洪水の際には旧笛吹川の方向に洪水を流して(遊水させる)堤防の大規模な決壊を防ぐ構造になっている。しかし,日頃の穏やかな川の流れしかイメージ出来ない我々は,もともと川の流れている場所に開かれた街や耕地は,一旦堤防が決壊すれば,瞬く間に元の河原に戻ってしまう事も,そこが本来洪水を導くための場所であることをも,ともすれば忘れてしまっている。
ヤマブキ    山吹  Kerria japonica  [ばら科]
ヤマブキソウ    山吹草  Hylomecon japonicum  [けし科]
 ゴールデンウイークの一日,山梨の北端,白州町にある諏訪神社を訪ねた。この境内にはいろいろな花が咲いていて,この時季はとても奇麗だ。神社の裏の林の下には,鮮やかな黄色の花を付けた山吹の花が風に揺れ,境内には山吹の花に勝るとも劣らないほどに鮮やかな黄色の花を付けた山吹草が咲き乱れていた。よく似た鮮やかな黄色の花を付けるので,同じヤマブキの名前で呼ばれているが,花びらをよく見ると,バラ科のヤマブキは5枚なのに,ケシ科のヤマブキソウは4枚と違いがある。     

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